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吉田(よしだ)は、長野県長野市の市街地北東部の地域名・町名。 # 【狭義】吉田一〜五丁目の範囲。1914年(大正12年)4月時点の上水内郡吉田町域に相当。 # 【広義】1.に桐原一〜二丁目・中越一〜二丁目を加えた範囲。1876年(明治9年)5月時点の上水内郡吉田村域に相当。長野市役所吉田支所管内の範囲。 本項では主に1.について解説しながら、#沿革の項ではかつて2. の区域に所在した上水内郡吉田村(よしだむら)、1. の区域に所在した同郡吉田町(よしだまち)についても述べる。 1. の範囲の現行行政地名は吉田一・二・三・四・五丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は381-0043。 == 概要 == 地区の北端には浅川が東西に流れ、長野電鉄長野線と相ノ木通り(旧北国街道)及び長野県道374号北長野停車場中俣線が並行して東西に横切る。北東部をしなの鉄道及び北陸新幹線〔2014年(平成26年)度末に開業する予定で、現在建設中の区間ではあるが、長野駅と長野新幹線車両センターを結ぶ回送専用線として利用されている。〕が南西から北東へ通過し、これが三・四丁目の境をなし、一〜三丁目と四・五丁目を分断している。周囲は以下の大字・町丁と接する。 長野電鉄の桐原駅・信濃吉田駅としなの鉄道北長野駅が利用でき、地区内には多くの路線バスが走る交通至便な地である。このため長野市の近郊住宅地として急速に発展した。 古くは北国街道(現 相ノ木通り)沿いを中心に発展し、北国街道が屈折する付近(本町=吉田一丁目)が吉田村の中心地であった。このあたりには今でも歴史を感じさせる古い商家が見られる。 その後本町のやや南東に、1898年(明治31年)に吉田駅(現 北長野駅)、1926年(大正15年)に吉田町駅(現 信濃吉田駅)が隣接して開業し、両駅周辺が栄えるようになる。 モータリゼーションの時代に入ると地区北部のSBC通り沿いにロードサイド店舗が軒を連ね、賑わいを見せる。しかし一方の駅周辺地区でも、両駅の中間に1990年(平成2年)、長野市内初の市街地再開発事業として北長野駅前B-3地区再開発事業が完成〔市街地再開発事業の実績一覧 - 長野市都市整備部まちづくり推進課〕。ながの東急百貨店系のショッピングセンター「ながの東急ライフ」が入居し、鉄道利用者・自動車利用者ともに多くの買い物客が訪れるようになった。続いて1997年(平成9年)には北長野駅前B-1地区再開発事業として、信濃吉田駅直結の高層マンション「ノルテながの」が完成〔。低層階に長野市役所吉田支所・公民館・保健センター・児童センターなどが入居し、公共施設の集積も図られている。 地区内の人口及び世帯数は以下の通り(平成26年4月1日現在)〔長野市町別人口及び世帯数 - 長野市企画政策部企画課〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田 (長野市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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